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 是歲,新羅貢調使みつきたてまつるつかひ知萬沙飡ちまささん等,著唐國服もろこしのくにのきもの泊于筑紫。朝廷惡恣ほしきまま移俗しわざ,訶嘖せめ追還。于時,巨勢大臣こせのおほおみ奏請之曰:「今方不伐新羅,於後必當有悔。其伐之狀,不須舉こぞる力。自難波津なにはつ至于筑紫海つくしのうみ裏,相接浮盈艫舳ふね,召新羅問其罪者,可易やすかる得焉。」  三年,春正月己未朔一,元日禮みかどをがみのこと訖,車駕幸大郡宮おほこほりのみや。  自正月至是月,班田既訖をはりぬ。凡田長三十步為段,十段為町。【段租たちから稻一束半,町租稻十五束。】
 三月戊午朔丙寅九,車駕還宮。  夏四月戊子朔壬寅十五,請沙門惠隱ゑおん於內裏,使講無量壽經むりやうじゆきやう,以沙門惠資ゑし為論議者ろんげしや,以沙門一千為作聽眾さちやうじゆ。  丁未廿,罷講。自於此日初,連雨水あめ。至于九日,損壞宅屋やかず,傷害田苗たのなへ。人及牛馬溺死者眾。
 是月,造戶籍。凡五十戶為里,每里長をさ一人。凡戶主へぬし皆以家長いへのかみ為之。凡戶皆五家相保いついへあひまもり,一人為長,以相檢察かむがへみしむ。  新羅、百濟遣まだし使貢調,獻物。  秋九月,造宮已訖。其宮殿之狀不可殫論ことごとくいふべからず。
 冬十二月晦卅一,請天下僧尼於內裏,設齋,大捨かきうてる,燃燈。  四年,夏五月辛亥朔壬戌十二,發遣つかはす大唐大使小山上吉士長丹きしのながに,副使そひつかひ小乙上吉士駒きしのこま,【駒,更名絲いと。】學問僧道嚴だうごん、道通だうつう、道光だうくわう、惠施ゑせ、覺勝かくしよう、辨正べんしやう、惠照ゑせう、僧忍そうにん、知聰ちそう、道昭だうせう、定惠ぢやうゑ、【定惠,內大臣うちのおほおみ之長子也。】安達あんだち、【安達,中臣渠每連なかとみのこめのむらじ之子。】道觀だうくわん、【道觀,春日粟田臣百濟かすがのあはたのおみくだら之子。】學生ものならひひと巨勢臣藥こせのおみくすり、【藥,豐足臣とよたりのおみ之子。】冰連老人ひのむらじおきな,【老人,真玉またま之子。或本,以學問僧知辨ちべん、義德ぎとく,學生坂合部連磐積さかひべのむらじいはつみ而增焉。】并あはせ一百二十一人,俱ともに乘一船。以室原首御田むろはらのおびとみた為送使おくるつかひ。又大使大山下高田首根麻呂たかたのおびとねまろ、【更名,八掬脛やつかはぎ。】副使小乙上掃守連小麻呂かにもりのむらじをまろ,學問僧道福だうふく、義向ぎきやう,并一百二十人,俱乘一船。以土師連八手はじのむらじやつて為送使。  是月,天皇幸旻法師房むろ,而問其疾,遂口敕恩命めぐみのみことのり。
 或本,於五年七月云:僧旻法師臥病於阿曇寺あづみでら。於是天皇幸而問之,仍執其手曰:「若法師今日亡者,朕從したがひ明日亡。」  六月,百濟、新羅遣使貢調,獻物。修治をさむ處處大道おほち。  天皇聞旻法師命終いのちうせぬ,而遣使弔とぶらはしめ,并多送贈おくりもの。皇祖母尊皇極及皇太子等,皆遣使弔旻法師喪も。遂為法師,命畫工狛豎部子麻呂ゑかきこまのたてべのこまろ、鯽魚戶直ふなとのあたひ等,多造佛、菩薩ぼさつ像,安置於川原寺かはらでら。【或本云,在山田寺。】
 秋七月,被遣大唐使人つかひ高田根麻呂等,於薩麻之曲さつまのくま、竹嶋たかしま之間,合こぞり船沒死おちりぬ。唯有五人,繫胸一板,流遇ながれより竹嶋,不知所計。五人之中,門部金かどべのかね採竹為筏いかだ,泊于神嶋しとけしま。凡此五人經六日六夜,而全もはら不食飯。於是褒美金,進位くらゐをすすめ給祿。 大阪市古地圖 味原 味經宮,所在不詳。萬葉集卷六難波宮作歌云:「味原宮。」故宮趾蓋在大阪市天王寺區味原町一代。
白雉 按『延喜式』治部省祥瑞條:「白雉,岱宗之精也。」松滋,地名。『宋書』符瑞志:「晉武帝咸寧元年四月丁巳,白雉見安豐松滋。」別風者,『尚書大傳疏』:「謂風從自東西南北來,四方可分別,故云別風。」 鮮齋永濯『萬物雛形畫譜』 鳳凰、麒麟
萬物雛形畫譜 鳳凰、麒麟 白雉、鳳凰、麒麟等,僉休祥之兆也。『爾雅』釋言云:「休者,慶也。」祥瑞、上瑞是也。故孝德帝改元白雉。 和歌山縣田邊市本宮町本宮 熊野本宮大社
熊野本宮大社神紋 頭八咫烏 三足烏,『延喜式』治部省祥瑞條:「三足烏,日之精也。」 難波長柄豐碕宮
大阪府大阪市中央區大手前 大阪歷史博物館 前期難波宮跡 跡地存於今大阪歷史博物館地下。
奈良縣高市郡明日香村大字川原 川原寺跡 川原寺跡 奈良縣高市郡明日香村大字川原 川原寺跡
川原寺跡 奈良縣高市郡明日香村奧山 飛鳥資料館 飛鳥資料館 川原寺復原模型
鹿兒島縣鹿兒島郡三島村 竹島 竹嶋 竹嶋,在薩摩半島南,硫磺島東。神嶋,肥前國西南海中神嶋。或云薩摩國上甑島。
奈良縣高市郡明日香村大字稻淵 飛鳥稻淵宮殿跡 飛鳥稻淵宮殿跡 奈良縣高市郡明日香村大字稻淵 飛鳥稻淵宮殿跡
飛鳥稻淵宮殿跡碑 倭飛鳥河邊行宮比定地。 天皇送間人皇后歌:「鉗著堅金木 吾繫飼駒金木上 不令人引出 何以吾密飼駒者 為人所覓為人獲」
泰國 Wat Nakhon Kosa 吐火國 泰 Dvaravati 王國 吐火國,齊明紀作覩貨邏、墮羅、覩貨邏國等,舊唐書稱墮和羅國。蓋為泰他叻瓦滴王國時代。
大阪府南河內郡太子町大字山田 孝徳天皇陵 山田上山古墳 孝德天皇 大坂磯長陵  是歲,太子奏請曰:「欲冀ねがはくば遷于倭京やまとのみやこ。」天皇不許焉。
 皇太子乃奉皇祖母尊皇極、間人皇后はしひとのきさき,并率皇弟大海人等,往居于倭飛鳥河邊行宮やまとのあすかのかはらのかりみや。于時,公卿大夫、百官人等,皆隨而遷。由是天皇恨欲捨於國位くにのみくらゐ,令造宮於山碕やまさき,乃送歌於間人皇后曰: 金木著かなきつけ 吾あが飼駒かふこまは 引出ひきでせず 吾あが飼駒かふこまを 人見ひとみつらむか  五年,春正月戊申朔一,夜,鼠向倭都やまとのみやこ而遷。
 壬子五,以紫冠授中臣鎌足連なかとみのかまたりのむらじ,增封若干戶。  二月,遣大唐押使すべつかひ大錦上高向史玄理,【或本云,夏五月,遣大唐押使大花下高向玄理。】大使小錦下河邊臣麻呂かはへのおみまろ,副使大山下藥師惠日くすしゑにち,判官大乙上書直麻呂ふみのあたひまろ、宮首阿彌陀みやのおびとあみだ、【或本云,判官小山下書直麻呂。】小乙上岡君をかのきみ宜よろし、置始連大伯おきそめのむらじおほく、小乙下中臣間人連老なかとみのはしひとのむらじおゆ、【老,此云おゆ於喻。】田邊使鳥たなべのふびととり等,分乘二船,留連つたよふ數月,取新羅道しらきのみち,泊於萊州らいしう。遂到于京,奉覲天子みかど。  於是,東宮監門とうぐうかむもん郭丈舉くわくぢやうきよ,悉問日本國やまとのくに之地里ところさと及國初之神名くにのはじめのかみのな。皆隨問而答。
 押使高向玄理,卒みうせぬ於大唐。  伊吉博得いきのはかとこ言:「學問僧惠妙於唐死。知聰於海死。智國ちこく於海死。智宗ちそう以庚寅かのえとら年付新羅船歸。覺勝於唐死。義通ぎつう於海死。定惠以乙丑年付劉德高りうとくかう等船歸。妙位めうゐ、法勝ほふしよう,學生冰連老人、高黃金かうわうこむ,并十二人,別倭種やまとのうぢ韓智興かんちこう、趙元寶てうぐわんほう,今年共使人歸。」  夏四月,吐火羅國とくわらのくに男二人、女二人,舍衛しやゑ女一人,被風流來于日向ひむか。
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