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日本人文書紀。
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秋七月,新羅使人沙㖨部奈末竹世士さたくほうなまちくせいし與任那使人㖨部大舍首智買たくほうたさしゅちばい,到于筑紫。
九月,遣使召めす新羅、任那使人。
冬十月己丑朔丙申八,新羅、任那使人臻まゐたる於京。
是日,命額田部連比羅夫,為迎新羅客莊馬かざりうま之長をさ,以膳臣大伴かしはでのおみおほとも,為迎任那客莊馬之長。即安置阿斗河邊館あとのかはへのむろつみ。
丁酉九,客等拜朝廷。於是命秦造河勝、土部連菟はじのむらじうさぎ,為新羅導者みちびきひと,以間人連鹽蓋はしひとのむらじしほふた、阿閉臣大籠あへのおみおほこ為任那導者。共引以自南門みなみのみかど入之,立于庭中おほば。
時大伴咋連おほともくひのむらじ、蘇我豐浦蝦夷臣そがのとゆらのえみしのおみ、坂本糠手臣、阿倍鳥子臣あへのとりこのおみ,共自位起之,進伏于庭。
於是兩國客等各再拜,以奏使旨。乃四大夫よたりのまへつきみ起進啟於大臣。時大臣自位起,立廳まつりごとどの前而聽焉。既而賜祿ものたまふ諸客,各有差。
乙巳十七,饗使人等於朝。以河內漢直贄かふちのあやのあたひにへ為新羅共食者あひたげひと,錦織首久僧にしこりのおびとくそ為任那共食者。
辛亥廿三,客禮畢ゐやのことをはり,以歸焉。
八、藥獵菟田野
十九年,夏五月五日,藥獵くすりがりす於菟田野うだのの。取雞鳴時あかとき,集于藤原池ふぢはらのいけ上。以會明あけぼの,乃往之。粟田あはた細目臣ほそめのおみ為前部領さきのことり,額田部比羅夫連為後しりへ部領。
是日,諸臣服色,皆隨冠色,各著させり髻華。則大德、小德並用金,大仁、小仁用豹尾なかつかみのを,大禮以下用鳥尾とりのを。
秋八月,新羅遣沙㖨部奈末北叱智さたくほうなまほくしち,任那遣習部大舍親智周智しふほうたさしんちしゆち,共朝貢。
二十年,春正月辛巳朔丁亥七,置酒宴とよのあかりす群卿。
是日,大臣上壽おほみきたてまつり歌曰:
八隅治やすみしし 我わが大君おほきみの 隱坐かくります 天八十蔭あまのやそかげ 出立いでたたす 御空みそらを見みれば
萬代よろづよに 斯かくしもがも 千代ちよにも 斯かくしもがも
畏かしこみて 仕奉つかへまつらむ 拜をろがみて 仕奉つかへまつらむ 歌付奉うたづきまつる
天皇和こたへ曰:
真蘇我まそがよ 蘇我そがの子等こらは 馬是うまならば 日向駒ひむかのこま 太刀是たちならば 吳真刀くれのまさひ
諾うべしかも 蘇我そがの子等こらを 大君おほきみの 使つかはすらしき
二月辛亥朔庚午廿,改葬皇太夫人堅鹽媛おほきさききたしひめ於檜隈大陵ひのくまのおほみさざき。
是日,誄於輕街かるのちまた。
第一,阿倍內臣鳥あへのうちのおみとり,誄天皇推古之命おほみこと,則奠靈みたまにものたてまつる。明器みけもの、明衣みけし之類,萬五千種也。
第二,諸皇子等,以次第つぎて各誄之。
第三,中臣宮地連烏摩呂なかとみのみやどころのむらじをまろ,誄大臣之辭。
第四,大臣引率八腹臣やはらのおみ等,便以境部臣摩理勢さかひべのおみまりせ,令誄氏姓之本うぢかばねのもと矣。時人云:「摩理勢、烏摩呂二人能誄,唯鳥臣不能誄しのひことまをす也。」
夏五月五日,藥獵之。集于羽田はた,以相連參趣まゐおもぶく於朝みかど。其裝束よそひ如菟田之獵。
是歲,自百濟國,有化來者。其面おもて、身むくろ皆斑白まだら。若有白癩しらはた者乎。惡にくみ其異於人,欲棄海中嶋。然其人曰:「若惡臣之斑皮まだらはだ者,白斑しろまだら牛馬不可畜かふ於國中くぬち。亦臣有小才かど,能構山岳之形やまのかたち。其留臣而用,則為國有利くほさ。何空之むなしく棄海嶋耶?」於是聽其辭以不棄,仍令構須彌山すみのやま形及吳橋くれはし於南庭おほば。時人號其人曰路子工みちこのたくみ。亦名芝耆摩呂しきまろ。
又百濟人味摩之みまし,歸化曰:「學于吳,得伎樂儛くれがくまひ。」則安置櫻井さくらゐ,而集少年わらはべ,令習伎樂儛。於是,真野首弟子まののおびとでし、新漢齊文いまきのあやひとさいもん二人,習之傳其儛。此今大市首おほちのおびと、辟田首さきたのおびと等祖也。
二十一年,冬十一月,作掖上池わきのかみのいけ、畝傍池うねびのいけ、和珥池わにのいけ。又自難波至京,置大道おほち。
奈良縣東部,宇陀市及宇陀郡周邊
宇陀
藥獵者,男捕鹿茸之類,女採藥草之儔。所謂菟田野,蓋在宇陀一代,無定說。近傍之阿騎野者,亦古代皇室藥獵聖地。
蘇我馬子上壽天皇歌:「八隅治天下 吾之大君炊屋姬 聖君所隱坐 天八十蔭崴峨宮 今自殿出幸 翹首仰望虛空者 縱過萬代矣 壯麗如斯恒永久 縱過千代矣 壯麗如斯恒永久 誠惶且誠恐 奉仕吾皇獻赤誠 頓首復再拜 奉仕吾皇獻赤誠 今獻上壽歌奉之」
天皇和歌:「賢也真蘇我 蘇我子等族裔矣 汝若為馬者 必為日向駿馬歟 汝若為太刀 必為吳國真刀乎 諾也誠如此 蘇我子等族裔者 代代為所用 綿延大君天皇使」
奈良縣高市郡明日香村大字平田 梅山古墳 欽明天皇檜隈坂合陵
欽明天皇、堅鹽媛 檜隈坂合陵
奈良縣橿原市見瀨町、五條野町、大輕町 見瀨丸山古墳
見瀨丸山古墳 傳檜隈大陵
宮內廳治定梅山古墳為檜隈坂合陵。然以丸山古墳石室中發現家形石棺兩具,故亦疑為欽明帝、堅鹽媛合葬之陵。未有定說。
奈良縣奈良市池田町
和珥池跡 廣大寺池
奈良縣北葛城郡王寺町本町 片岡山 達磨寺
片岡山 達磨寺
傳太子所遇飢者,達磨化身也。故於彼處建達磨寺。
聖德太子嘆飢者歌:「級照坂暉矣 肩岡傍岡片岡山 田夫飢於飯 伏臥彼山間 其田夫者可憐矣 誰無父母乎 汝生於世當有親 刺竹枝繁茂 明君何處在以不 田夫飢於飯 伏臥彼山間 其田夫者可憐矣」
鹿兒島縣熊毛郡屋久島町
掖玖 屋久島
掖玖、夜句者,今屋久島是也。
島根縣松江市玉湯町玉造
出雲國神戶郡 玉造溫泉
『出雲國風土記』云:「忌部神戶,郡家正西廿一里二百六十步。國造神吉詞奏參向朝廷時,御沐之忌里,故云忌部。即川邊出湯,出湯所在兼海陸。」今玉造溫泉。
流貫滋賀縣湖東平野南部,於近江八幡市、野洲郡中主町間注入琵琶湖之 日野川
蒲生河 今日野川
大阪府大阪市浪速區元町 瑞龍寺藏 人魚木乃伊
瑞龍寺藏 人魚木乃伊
部分寺社藏有人魚、河童木乃伊。亦有食人魚肉得不老不死、長生百年之人魚傳說。按『傳曆』,太子謂左右曰:「禍始于此。夫人魚者瑞物也。今無飛菟,出人魚者,是為國禍。汝等識之。」
十二月庚午朔一,皇太子遊行いでます於片岡かたをか。時飢者うゑたるひと臥道垂みちのほとり。仍問姓名うぢな,而不言。
皇太子視之,與飲食をしもの。即脫衣裳みけし,覆飢者而言:「安臥也。」則歌之曰:
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