鲁虺日本人文搜索
输入关键词:
类目资源: 智虺堂 検索 典故 古語辞典 大辞林 日漢雙解詞典 日本傳統色 utf-8 康熙字典 汉语词典 毒鸡汤 谜语 名言 解梦 谚语 古籍溯源 异体字 大辞海 制度 语言翻译

鲁虺日本人文搜索说明

日本人文書紀。


鲁虺日本人文搜索。


推荐日本人文搜索60个。
夢殿 聖德太子斑鳩宮跡 山背大兄皇子者,即聖德太子之子。故繼其父領,居斑鳩宮。 推古天皇小墾田宮構造復原模式圖
推古帝小墾田宮禁內構造圖 禁省者,天皇居所,即小墾田宮。 奈良縣高市郡明日香村豐浦 向原寺 豐浦寺趾碑
向原寺 豐浦寺趾碑 奈良縣高市郡明日香村豐浦 向原寺 豐浦寺下層遺構 講堂 豐浦寺講堂遺構
今向原寺境內東側,可見金堂、講堂、塔、回廊與尼房基壇。 奈良縣櫻井市慈恩寺 磯城嶋公園 欽明天皇 磯城嶋金刺宮址
磯城嶋宮御宇天皇者,欽明帝也。  是時,山背大兄居於斑鳩宮いかるがのみや,漏聆是議,即遣三國王みくにのおほきみ、櫻井臣和慈古さくらゐのおみわじこ二人,密謂大臣曰:「傳聞之,叔父をぢのおきな以田村皇子欲為天皇。我聞此言,立思矣,居思矣,未得其理ことわり。願分明あきらけく欲知叔父之意。」  於是,大臣得山背大兄之告,而不能獨對。則喚阿倍臣、中臣連、紀臣、河邊臣かはへのおみ、高向臣、采女臣、大伴連、許勢臣等,仍曲つばひらかに舉山背大兄之語。
 既而便且また,謂大夫まへつきみ等曰:「汝大夫等共詣於斑鳩宮,當啟山背大兄王曰:『賤臣やつこらま何之獨輙たやすく定嗣位?唯舉天皇之遺詔のちのみことのり,以告于群臣。群臣並言:『如遺言,田村皇子自當嗣位。更詎たれ異言。』是群卿言也,特非臣心。但雖有臣私意,而惶之不得傳啟つたへまをす,乃面日まみえむひ親啟焉。』」  爰群大夫等まへつきみたち,受大臣之言,共詣于斑鳩宮,使三國王、櫻井臣,以大臣之辭啟於山背大兄。時大兄王使傳問群大夫等曰:「天皇遺詔奈之何いかにぞ?」對曰:「臣等不知其深。唯得大臣語狀かたらふかたち稱:『天皇臥病之日,詔田村皇子曰:「非輕輙かろかろしくたやすく言來ゆくさき國政。是以爾いまし田村皇子慎以つつしみ言之,不可緩。」次詔みことのり大兄王曰:「汝肝稚きもわかし,而勿諠言とよきいふこと,必宜從したがふべし群臣言。」是乃近侍つかへまつ諸女王ひめおほきみ及采女うねめ等悉知之,且大王所察あきらか。』」  於是,大兄王且令問之曰:「是遺詔也,專もはら誰人聆焉ききし?」答曰:「臣等不知其密ひそかにあること。」
 既而更亦,令告群大夫等曰:「愛之うつくしき叔父勞思いたはしくおもひ,非一介之使ひとりのつかひ,遣重臣いかしきまへつきみ等而教覺をしへさとす。是大恩みめぐみ也。然今群卿所噵いふ天皇遺命者,小小すこし違我之所聆。吾聞天皇臥病,而馳上之はせのぼり,侍于門下みかどのもと。時中臣連彌氣,自禁省みやのうち出之曰:『天皇命おほみこと以喚之めす。』則參進まゐすすみ向于閤門うちつみかど。亦栗隈采女黑女くるくまのうねめくろめ,迎於庭中おほば,引入大殿おほとの。於是,近習ちかくつかへまつる者栗下女王くるもとのおほきみ為首このかみ,女孺鮪女めのわらはしびめ等八人并數十人,侍於天皇之側みもと,且田村皇子在焉。時天皇沈病みやまひおもり,不能覩みそなはす我。乃栗下女王奏曰:『所喚山背大兄王參赴まゐけり。』即天皇起臨おき之詔曰:『朕以寡薄いやしきみ,久勞大業あまつひつぎ。今曆運將終よつきなむ,以病不可諱いむべからず。故汝本為朕之心腹こころ,愛寵之情めぐみあがむるこころ,不可為比くらぶ。其國家大基くにのおほきなるもと,是非朕世,自本務之つとめなり。汝雖肝稚,慎以言。』乃當時侍之近習者,悉知焉。故我蒙是大恩おほきなるめぐみ,而一則以懼,一即以悲,踊躍歡喜ほどはしりうれしき,不知所如せむすべ。仍以為おもへらく:『社稷宗廟くにいへ,重事おもきわざ也。我眇少以不賢わかくしてをさなし,何敢當焉。』當事時,思欲おもへり語叔父及群卿等,然未有可噵いふべき之時,於今非言耳。我曾將訊とぶらはむ叔父之病,向京みやこ而居豐浦寺とゆらでら。是日,天皇遣八口采女鮪女やくちのうねめしびめ,詔之曰:『汝叔父大臣常為汝愁うれへ言,百歲之後ももとせののち,嗣位非當汝乎?故慎以自愛つとめ矣。』既分明有是事,何疑也?然我豈餮むさぼらむ天下,唯顯聆事耳のみ,則天神地祇あまつかみくにつかみ共証ことわり之。是以冀正欲知天皇之遺敕のちのみことのり,亦大臣所遣群卿者,從來もとより如嚴茅取中いかしほこのなかとりもてる事,【嚴茅,此云いかしほこ伊箇之倍虛。】而奏請人ものまをすひと等也。故能よく宜白叔父。」  既而,泊瀨仲王はつせのなかのみこ別喚中臣連、河邊臣,謂之曰:「我等父子ちちこ,並自蘇我そが出之,天下所知,是以如高山恃之たのめり。願嗣位勿輙言。」則令三國王、櫻井臣,副群卿而遣之曰:「欲聞還言かへりこと。」時大臣,遣紀臣、大伴連,謂三國王、櫻井臣曰:「先日言訖,更無異矣。然臣やつかれ敢之輕かろみし誰王也,重おもみせむ誰王也?」  於是數日之後ひをへてのち,山背大兄亦遣櫻井臣,告大臣曰:「先日さきのひ之事,陳のべつらく聞耳。寧いづくに違叔父哉?」
 是日,大臣病動やまひおこり,以不能面まのあたり言於櫻井臣。  明日,大臣喚櫻井臣,即遣阿倍臣、中臣連、河邊臣、小墾田臣をはりだのおみ、大伴連,啟山背大兄言:「自 磯城嶋宮御宇天皇之世しきしまのみやにあめのしたしらししすめらみことのみよ及近世ちかつよ者,群卿皆賢哲さかし也。唯今臣不賢,而遇たまさかに當乏人時ひとともしきとき,誤居群臣上耳。是以不得定基もとゐ。然是事重也,不能傳噵つたへまをす。故老臣おきな雖勞いたはし,面啟之。其唯不誤遺敕者也,非臣私意わたくしのこころ。」 三、擁山背大兄派境部摩理勢之終末
 既而大臣傳つたへ阿倍臣、中臣連,更問境部臣曰:「誰王いづれのみこ為天皇?」對曰:「先是大臣親問之日みづからとへるひ,僕啟既訖之をはりぬ。今何更亦傳以告耶?」乃大忿而起行之。  適是時,蘇我氏諸族そがのうぢのやからども等悉集つどひ,為嶋大臣しまのおほおみ造墓,而次やどれり于墓所。爰摩理勢臣壞墓所之廬はかどころのいほ,退蘇我田家なりどころ而不仕つかへず。時大臣慍之いかり,遣身狹君勝牛むさのきみかつし、錦織首赤豬にしこりのおびとあかゐ,而誨をしへ曰:「吾知汝言之非よからぬ,以干支之義えおとのことわり,不得害。唯他非汝是,我必忤さかひ他從汝。若他是汝なむぢ非,我當乖そむき汝從他。是以汝遂有不從者,我與汝有瑕ひま,則國亦亂。然乃後生のちのよのひと言之,吾二人破國也。是後葉之惡名のちのよのあしきな也。汝慎以勿起逆心さかふるこころ。」然猶不從,而遂赴于斑鳩,住於泊瀨王はつせのみこ宮。  於是大臣益怒,乃遣群卿まへつきみたち,請于山背大兄曰:「頃者このころ,摩理勢違臣匿於泊瀨王宮。願得摩理勢,欲推其所由よし。」爰大兄王答曰:「摩理勢素聖皇聖德太子所好,而暫來耳。豈違叔父之情耶?願勿瑕とがめ。」則謂摩理勢曰:「汝不忘先王さきのみかど之恩而來,甚愛矣はなはだめぐし。然其因汝一人ひとり,而天下應亂。亦先王臨沒うせたまはむとせ,謂諸子等曰:『諸惡莫作,諸善奉行おこなへ。』余承斯言このみこと,以為永戒ながきいましめ。是以雖有私情,忍以無怨。復我不能違叔父。願自今以後,勿憚はばかる改意,從群而無退。」
 是時,大夫等且誨摩理勢臣之曰:「不可違大兄王之命。」於是摩理勢臣進無所歸よらむところ。乃泣哭更還之居於家十餘日,泊瀨王忽發病やまひおこり薨。  爰摩理勢臣曰:「我生之誰恃矣?」大臣將殺境部臣,而興兵いくさ遣之。境部臣聞軍いくさ至,率仲子阿椰なかちのあや,出于門,坐胡床あぐら而待。時軍至,乃令來目物部伊區比くめのもののべのいくひ以絞之くびらしめ,父子共死。乃埋同處。唯兄子毛津えのけつ,逃匿于尼寺瓦舍あまでらのかはらや,即姧をかしつ一二尼。於是,一尼嫉妒ねたみ令顯。圍寺將捕。乃出之入畝傍山うねびやま。因以探山,毛津走にげ無所入,刺頸くび而死山中。時人ときのひと歌曰: 畝傍山うねびやま 木立薄こたちうすけど 賴たのみかも 毛津若子けつのわくごの 籠こもらせりけむ
奈良縣高市郡明日香村島庄 石舞台古墳 石舞台古墳 傳蘇我馬子墓 奈良縣高市郡明日香村島庄 石舞台古墳
石舞台古墳入口 聖德太子子嗣 泊瀨王者泊瀨仲王是也。聖德太子之子而山背大兄王異母弟矣。
奈良縣橿原市山本町 畝傍山 北面 畝傍山 時人嘆毛津歌:「奈良畝傍山 山上斑駁木疏稀 疏木豈可侍 毛津若子賴彼處 籠於其間無所入」
角川文化振興財團 平城京遷都1300年記念 上海萬國博覽會「遣唐使船再現Project」 復原遣唐使船 鹿兒島縣熊毛郡屋久島町
掖玖 屋久島 奈良縣高市郡明日香村岡 舒明天皇 飛鳥岡本宮跡
岡本宮跡,有雷丘附近、奧山東岡西麓、板蓋宮下層遺構等說。又以板蓋宮下層遺構說最為有力。 兵庫縣神戶市北區有馬町東門口 有馬溫泉 有間溫湯 有馬溫泉
小學館新古典文學全集插繪 遣唐使船航路圖  元年,春正月癸卯朔丙午四,大臣及群卿,共以天皇之璽印みしるし,獻於田村皇子。則辭之いなび曰:「宗廟くにいへ,重事矣。寡人不賢,何敢當乎?」群臣伏固請かたくまをし曰:「大王きみ,先朝さきのみかど鍾愛,幽顯かみもひとも屬心。宜纂皇綜きみのみつぎをつぎ,光臨てらしのぞむ億兆おほみたから。」
 即日,即天皇位あまつひつぎしらしめす。  夏四月辛未朔一,遣田部連たべのむらじ,【闕名。】於掖玖。是年也,太歲己丑。  二年,春正月丁卯朔戊寅十二,立寶皇女たからのひめみこ為皇后きさき。后生二男一女。
  一曰,葛城皇子かづらきのみこ。【近江大津宮御宇あふみのおほつのみやにしてあめのしたしらしめしし天皇。】   二曰,間人皇女はしひとのひめみこ。   三曰,大海皇子おほしあまのみこ。【淨御原宮きよみはらのみや御宇天皇。】
 夫人,蘇我嶋大臣そがのしまのおほおみ女法提郎媛ほてのいらつめ。   生,古人皇子ふるひとのみこ。【更名,大兄皇子おほえのみこ。】  又娶,吉備國蚊屋采女きびのくにのかやのうねめ。
分页:首页 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 上一页 下一页 尾页