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壬申之亂戰況圖 菊池容齋『前賢故實』大野果安、田邊小隅 前賢故實 大野果安、田邊小隅
 壬辰三,將軍吹負屯于乃樂山ならやま上。時荒田尾直赤麻呂あらたをのあたひあかまろ啟將軍曰:「古京飛鳥倭京是本營もとのいほり處也,宜固守かたくまもる。」將軍從之。則遣赤麻呂、紀部首子人いみべのおびとこびと,令戍古京ふるきみやこ。  於是,赤麻呂等詣古京倭京,而解取道路橋板みちのはしいた,作楯たて,豎たつ於京邊衢ちたま以守之。  癸巳四,將軍吹負與近江將大野君果安おほののきみはたやす,戰于乃樂山,為果安所敗やぶらる。軍卒いくさひとども悉走にげ,將軍吹負僅わづかに得脫まぬかるる身。於是果安追至八口やくち,屳のぼり山而視京,每街ちたまごと豎楯。疑うたがひ有伏兵,乃稍引還ひきてかへる之。
 甲午五,近江別將田邊小隅たなへのをすみ,越鹿深山かふかのやま,而卷幟はた抱鼓つづみ,詣于倉歷くらふ。以夜半之,銜くくみ梅くちき穿城,劇にはかに入營中。則畏おそり己卒與足麻侶たりまろ眾難がたきこと別,以每人ひとごと令言:「金かね。」仍拔刀而毆之うち,非あらざる言「金」乃すなはち斬耳きる。  於是,足摩侶眾たりまろがいくさ悉亂之,事忽起たちまちにおこり,不知所為せむすべをしらず。唯足摩侶聰知之とくしり,獨言:「金。」以僅得免。  乙未六,小隅亦進,欲襲莿荻野營而忽到いたる。
 爰,將軍多臣品治遮之たへ,以精兵追擊おひうつ之。小隅獨免走焉。以後これよりのち,遂復不來也。 八、近江會戰,大友皇子自縊  丙申七,男依等與近江軍あふみのいくさ戰息長橫河おきながのよこかは,破之やぶり,斬其將境部連藥さかひべのむらじくすり。
 戊戌九,男依等討うち近江將秦友足はだのともたり於鳥籠山とこのやま,斬之。  是日,東道將軍うみつみちのいくさのきみ紀臣阿閉麻呂等聞倭京將軍大伴連吹負為近江所敗,則すなはち分軍以遣置始連菟,率千餘騎而急馳はせしむ倭京。  壬寅十三,男依等戰于安河やすのかは濱,大破。則獲社戶臣大口こそへのおみおほくち、土師連千嶋はじのむらじちしま。
 丙午十七,討栗太くるもと軍,追之。  辛亥廿二,男依等到瀨田せた。  時大友皇子及群臣等共營於橋西,而大成陣つら,不見其後しりへ。旗幟はた蔽野,埃塵ちり連天,鉦鼓かねつづみ之聲,聞數十里。列弩つらなれるゆみ亂發,矢下くだる如雨。其將智尊ちそん率精兵,以先鋒さき距之。仍切斷橋中須容いるばかり三丈,置一長板ながきいた,設たとひ有蹋板度者いたをふみてわたるもの,乃引板將墮おとさむとす。是以不得進襲すすみおそふ。
 於是,有勇敢士たけきつはもの,曰大分君稚臣。則棄長矛ほこ以重擐かさねき甲,拔ぬき刀急蹈ふみ板度之わたる。便斷著板綱いたにつけたるつな,以被矢いえつつ入陣。眾悉亂而散走之,不可禁とどむべからず。時將軍智尊,拔刀斬退者にぐるもの。而不能止とどむること。因よりて以斬智尊於橋邊はしのほとり。  則大友皇子、左右大臣等僅身免みまぬかれ以逃之。男依等即軍いくさだち于粟津岡あはづのをか下。  是日,羽田公矢國、出雲臣狛,合共ともに攻三尾城みをのき,降之くだしつ。
 壬子廿三,男依等斬近江將犬養連五十君いぬかひのむらじいきみ及谷直鹽手たにのあたひしほて於粟津市あはづのいち。  於是,大友皇子走にげて無所入いらむところ,乃還隱山前やまさき,以自縊焉みづからくびれぬ。時ときに左右大臣及群臣,皆散亡ちらけうせぬ。唯ただし物部連麻呂もののべのむらじまろ且また一二舍人從之。 岐阜縣不破郡關之原町藤下※(C)U-dia / 落王 照片右下角,乃自害峰三本杉下小石,頗有悼惜大友皇子之墓碑般氛圍,令人噓唏。
大友皇子自縊址 自害峰三本杉 菊池容齋『前賢故實』石上麻呂【物部麻呂】、智尊 前賢故實 石上麻呂、智尊
滋賀縣大津市御陵町 園城寺龜丘古墳 弘文天皇 長等山前陵 弘文帝【大友】 長等山前陵 日本書紀定天智天皇崩翌年為天武元年。不承認大友皇子即位。然前田家本『西宮記』等史料,有大友王子即位事。明治三年,追諡弘文天皇。改天武元年為弘文元年,天武二年為天武元年。
壬申之亂 大和週邊地圖 菊池容齋『前賢故實』壹伎韓國 前賢故實 壹伎韓國
菊池容齋『前賢故實』廬井鯨 前賢故實 廬井鯨 奈良縣橿原市雲梯町宮脇 高市御縣坐鴨事代主神社
高市御縣坐鴨事代主神社 河俣神社,祀鴨八重事代主神。 奈良縣橿原市見瀨町字庄屋垣內 牟佐坐神社
身狹社 牟佐坐神社 祀身狹【牟佐】生靈神。今奉高皇產靈命、孝元帝以為祭神。 奈良縣磯城郡田原本町大字藏堂字大宮 村屋坐彌富都比賣神社
村屋坐彌富都比賣神社 或稱守屋宮、森屋宮。祀村屋神,即彌富都比賣神、大物主命。  初將軍吹負向乃樂至稗田ひえだ之日,有人曰:「自河內かふち,軍多さはに至。」則遣坂本臣財さかもとのおみたから、長尾直真墨ながをのあたひますみ、倉墻直麻呂くらかきのあたひまろ、民直小鮪たみのあたひをしび、谷直根麻呂たにのあたひねまろ,率三百軍士,距於龍田たつた。復遣佐味君少麻呂さみのきみすくなまろ,率數百人,屯大坂おほさか。遣鴨君蝦夷,率數百人,守石手道いはてのみち。
 是日,坂本臣財等次やどれり于平石野ひらいしのの。時ときに聞近江軍在高安城たかやすのき而登之たつ。乃近江軍知財等來きたる,以悉焚やき稅倉ちからくら,皆散亡。仍宿城中。  會明,臨のぞみ見西方,自大津おほつ、丹比たぢひ兩道,軍眾多至,顯あきらかに見旗幟。有人曰:「近江將壹伎史韓國いきのふびとからくに之師也。」財等自高安城降,以渡衛我河ゑがのかは,與韓國戰于河西かはのにし。財等眾少不能距。  先是,遣紀臣大音きのおみおほと,令守懼坂道かしこのさかのみち。於是財等退懼坂,而居大音之營。是時,河內國司守かふちのくにのみこともちのかみ來目臣鹽籠くめのおみしほこ,有歸まゐよる於不破宮之情,以集つどふ軍眾。爰ここに韓國到之,密ひそかに聞其謀はかりこと,而將殺鹽籠。鹽籠知事漏ことのもれしこと,乃自死みづからみうす焉。
 經一日,近江軍當あたり諸道而多至。即並ならび不能相戰,以解退ときしりぞく。  是日,將軍吹負為近江所敗,以獨率一二騎走之にぐ。逮于墨坂すみさか,遇たまたま逢菟軍うさぎがいくさ至,更還屯金綱井かなづなのゐ,而招聚をきあつむ散卒あかれるいくさ。於是,聞近江軍至大坂道おほさかのみち,而將軍引ひき軍如ゆく西。到當麻衢たぎまのちまた,與壹伎史韓國軍戰葦池あしいけ側。  時有勇士たけきひと來目くめ者,拔刀急馳すむやけくはせ,直入軍中。騎士うまいくさ繼踵而進之しきりてすすむ。則近江軍悉走之,追斬甚はなはだ多。爰將軍令軍中曰:「其發おこす兵之元意もとのこころ,非殺百姓おほみたから,是為元兇あた。故莫妄殺みだりにころす。」於是,韓國離軍獨逃也。將軍遙見之,令來目以俾射いしむ。然不中あたらず,而遂つひに走得免焉。
 將軍更還本營。時東師あづまのいくさ頻しきり多臻いたる。則分軍,各當上中下道かみなかしものみち而屯之。唯將軍吹負親當中道。於是,近江將犬養連五十君,自中道至之留村屋むらや,而遣別將廬井造鯨いほゐのみやつこくぢら,率二百精兵,衝つかしむ將軍營。當時麾下軍少,以不能距。爰有大井寺奴おほゐでらのやつこ名德麻呂とこまろ等五人,從軍。即すなはち以德麻呂等為先鋒,以進射之すすみている。鯨軍不能あたはず進。  是日,三輪君高市麻呂、置始連菟當上道,戰于箸陵はしのはか。大破近江軍,而乘勝かちにのり兼斷たつ鯨軍之後しりへ。鯨軍悉解走,多殺士卒いくさ。鯨乘白馬あをうま以逃之,馬墮泥田ふかた,不能進行すすみゆく。則將軍吹負謂甲斐勇者かひのたけきひと曰:「其乘白馬者,廬井鯨也。急追以射。」於是甲斐勇者馳追之,比ころほひ及いたる鯨,鯨急たちまち鞭むちうち馬,馬能拔以出泥ひぢりこ,即馳之得脫。將軍亦更還本處もとのところ而軍之いくさだち。自此以後これよりのち,近江軍遂不至。  先是軍金綱井之時,高市郡たかちのこほり大領こほりのみやつこ高市縣主許梅たかちのあがたぬしこめ,儵忽にはかに口閉くちつくび,而不能言也。三日之後,方著神かみかかり以言:「吾者,高市社たけちのやしろ所居,名事代主神ことしろぬしのかみ。又身狹社むさのやしろ所居,名生靈神いくみたまのかみ者也。」乃顯之あらはし曰:「於神日本磐余彥かむやまといはれびこ天皇之陵みさざき,奉馬うま及種種くさぐさ兵器。」便亦言:「吾者,立皇御孫命すめみまのみこと之前後みさきしりへ,以送奉おくりまつり于不破而還焉。今且立官軍みいくさ中而守護まもり之。」且言:「自西道,軍眾將至之。宜慎也つづしむべし。」言訖をはり則醒矣さめぬ。
 故是ここ以便遣許梅,而祭拜まつりをろがましめ御陵,因以奉馬及兵器。又捧幣みてぐら而禮祭ゐやまひまつる高市、身狹二社之神。然後しかるのちに壹伎史韓國自大坂來。故時人ときのひと曰:「二社神ふたやしろのかみ所教之辭,適是也まことにこれなり。」  又,村屋神むらやのかみ著祝はふり曰:「今自吾社中道なかつみち,軍眾將至。故宜塞社中道。」故,未經幾日いくか,廬井造鯨軍,自中道至。時人曰:「即神所教之辭をしへたまへるみことば是也。」  軍政いくさのまつりごと既訖,將軍等舉是三神みはしらのかみ教言而奏之まをす。即敕みことのり登進あげすすめ三神之品しな以祠焉まつりたまふ。
十、壬申之亂終,大海人皇子凱旋  辛亥廿二,將軍吹負既すでに定倭地やまとのところ,便越大坂往難波なには。以餘これよりほかの別將等各おのもおのも自三道みつのみち進,至于山前,屯河南かはのみなみ。即將軍吹負,難波小郡をごほり而仰以西にし諸國司等,令進官鑰かぎ、驛鈴すず、傳印つたへのしるし。  癸丑廿四,諸將軍等悉會於筱浪ささなみ,【筱,此云ささ佐佐。】而探捕あなぐりとらふ左右大臣及諸罪人つみびと等。
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