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日本人文書紀。
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六月,邑中むらのなか獲龜かはかめ。背書申しん字,上黃き下玄くろ,長六寸許。
秋九月辛未朔一,遣阿曇連頰垂あづみのむらじつらたり於新羅。
是歲,造水碓みづうす而冶鐵かねわかす。
中臣氏,天兒屋根命裔,以祝詞為業。中臣鎌子改姓藤原,稱鎌足。
京都府山科區大宅鳥居脇町 大宅廢寺跡
大宅廢寺跡 傳山階精舍趾
按『家傳』:「薨于淡海之第。」又云:「火葬於山階精舍。」藤原鎌足邸陶原館,後為佛寺,稱山階精舍、山階寺,是為奈良興福寺之前身。或云阿武山古墳,乃鎌足之墓。或云後改葬多武峰。
言法隆寺燒失童謠:「假設板打橋 橋頭袂處歌垣遊 子兮出其遊 乃樂玉手家中在 八重子之刀自矣 縱參歌垣出其遊 無有追悔莫口惜 子兮出其遊 乃樂玉手家中在 八重子之刀自矣」
水碓
或云碾磑,借水力輾物之具。
滋賀縣大津市西庄 法傳寺 大友皇子像
法傳寺藏 大友皇子像
言渡來人授爵表
言渡來人授爵童謠:「非時香菓兮 橘結實際各枝生 橘實生兮雖異枝 然在貫玉時 殊枝相繫貫同緒」或云諷外人獲爵,或云讚外人、國人一心。
福岡縣朝倉市山田字惠蘇宿 惠蘇八幡宮 仿天智漏剋臺模型
漏剋 仿天智漏剋模型
漏剋,或云漏刻,水鍾也。天智帝為太子時所造。以漏壺細孔瀉水,驅壺中漏箭以示時。晝夜十二時,各置四剋為量度。
十年,春正月己亥朔庚子二,大錦上蘇我赤兄臣與大錦下巨勢人臣こせのひとのおみ,進於殿前みあらかのまへ,奉賀正事みかどおがみのこと。
癸卯五,大錦上中臣金連なかとみのかねのむらじ命宣みことのる神事かむごと。是日,以大友皇子拜太政大臣おほきまつりごとのおほまへつきみ。以蘇我赤兄臣為左大臣ひだりのおほまへつきみ,以中臣金連為右大臣みぎのおほまへつきみ。以蘇我果安臣そがのはたやすのおみ、巨勢人臣、紀大人臣きのうしのおみ為御史大夫ぎよしたいふ。【御史,蓋今之大納言おほきものまをすつかさ乎。】
甲辰六,東宮太皇弟ひつぎのみこ奉宣,【或本云,大友皇子宣命みことのりす。】施行のりおこなひ冠位、法度のり之事。【法度、冠位之名,具つぶさに載於新律令にひしきのりのふみ。】大赦おほきにつみゆるす天下。
丁未九,高麗遣上部しやうほう大相だいさう可婁かる等進調。
辛亥十三,百濟鎮將劉仁願遣李守真りしゅうしん等上表ふみたてまつる。
是月,以大錦下授佐平余自信、沙宅さたく紹明せうみやう。【法官大輔のりのつかさのおほきすけ。】以小錦下授鬼室集斯。【學職ふみのつかさの頭かみ。】以大山下授達率谷那晉首、【閑兵法つはもの。】木素貴子、【閑ならへり兵法。】憶禮福留、【閑兵法。】答㶱春初、【閑兵法。】㶱日比子贊波羅金羅金須ほんにちひしさんはらこむらこむす、【解藥くすり。】鬼室集信くゐしつしふしん。【解しれり藥。】以小山上授達率德頂上とくちやうぢやう、【解藥。】吉大尚きちだいしやう、【解藥。】許率母こそちも、【明五經ごきやう。】角服牟ろくふくむ。【閑於陰陽おむやう。】以小山下授餘あたし達率等五十餘人。童謠云いはく:
橘たちばなは 己おのが枝枝えだえだ 生なれれども 玉たまに貫ぬく時とき 同緒おやじをに貫ぬく
二月戊辰朔庚寅廿三,百濟遣臺久用善だいくようぜん等進調。
三月戊戌朔庚子三,黃書造本實きふみのみやつこほんじつ,獻水臬みづはかり。
甲寅十七,常陸國ひたちのくに貢中臣部若子なかとみべのわくご。長尺六寸,其生年うまれしとし丙辰至於此歲このとし,十六年也。
夏四月丁卯朔辛卯廿五,置漏剋ろうこく於新臺あたらしきうてな,始打候時とき。動鍾鼓かねつづみ,始用漏剋。此漏剋者,天皇為皇太子時,始親所製造つくれる也,云云。
是月,筑紫言:「八足之鹿やつあしのか,生而即死。」
五月丁酉朔辛丑五,天皇御西小殿にしのこあんどの。皇太子、群臣侍宴うたげ。於是,再奏田儛たまひ。
六月丙寅朔己巳四,宣百濟三部使人みたむらのつかひ所請軍事いくさのこと。
庚辰十五,百濟遣羿真子げいしんし等進調。
是月,以栗隈王くるくまのおほきみ為筑紫帥つくしのかみ。
新羅遣使進調。別獻水牛すいぎう一頭、山雞やまどり一隻。
秋七月丙申朔丙午十一,唐人李守真等,百濟使人等,並ならびに罷歸。
八月乙丑朔丁卯三,高麗上部大相可婁等罷歸。
壬午十八,饗賜蝦夷。
九、天皇御崩與大海人皇子出家
九月,天皇寢疾不豫みやまひ。
或本云:八月,天皇疾病みやまひ。
冬十月甲子朔庚午七,新羅遣沙飡金萬物こんまんもつ等進調。
辛未八,於內裏開百佛眼もものほとけのみめ。
是月,天皇遣使,奉袈裟けさ、金鉢くがねのはち、象牙きさのき、沉水香ぢむすいかう、栴檀香せんだんかう及諸珍財めづらしきもの於法興寺ほふこうじ佛。
庚辰十七,天皇疾病彌留おもし。敕喚東宮まうけのきみ,引入臥內おほとの,詔曰:「朕疾甚,以後事のちのこと屬汝。」云云。於是,再拜をろがみ稱疾固辭いなびまをし,不受曰:「請奉洪業ひつぎ,付屬さづけまつり大后,令大友王おほとものおほきみ,奉宣諸政もろもろのまつりごと。臣請願,奉為おほみため天皇,出家いへでし修道おこなひせむ。」天皇許焉。東宮大海人起而再拜,便向於內裏佛殿ほとけのおほとの之南,踞坐胡床あぐら,剃除鬢髮ひげかみ,為沙門。
於是,天皇遣次田生磐すきたのおひは,送袈裟。
壬午十九,東宮大海人見天皇,請之まかり吉野修行佛道おこなひ。天皇許焉。東宮即入於吉野よしの。大臣おほまへつきみ等侍送おくりたてまつり,至菟道而還かへる。
十一月甲午朔癸卯十,對馬國司遣使於筑紫大宰府おほみこともちのつかさ言:「月生二日,沙門道久だうく、筑紫君薩野馬つくしのきみさつやま、韓嶋勝娑婆からしまのすぐりさば、布師首磐ぬのしのおびといは四人從唐來曰:『唐國使人郭務悰等六百人,送使沙宅孫登そんとう等一千四百人,總合二千人,乘船四十七隻,俱泊於比知嶋ひちしま。相謂之曰:「今吾輩われら人船數眾。忽然たちまち到彼かしこ,恐彼防人さきもり驚駭おどろき射戰。」乃遣道久等,預稍披陳ひらきまをさしむ來朝之意まゐけるこころ。』」
丙辰廿三,大友皇子在內裏西殿にしとの織佛像おりもののほとけのみかた前,左大臣蘇我赤兄臣、右大臣中臣金連、蘇我果安臣、巨勢人臣、紀大人臣侍焉はべり。
大友皇子手執香鑪,先起誓盟ちかひ曰:「六人同心,奉天皇詔。若有違たがふこと者,必被天罰あまつつみ!」云云。於是,左大臣蘇我赤兄臣等手執香鑪,隨次つぎて而起,泣血なき誓盟曰:「臣等五人,隨於殿下きみ,奉天皇詔。若有違者,四天王してんわう打!天神地祇あまつかみくにつかみ,亦復誅罰つみせむ!三十三天さむじふさむてん,証知あきらめしろしめせ此事。子孫うみのこ當絕,家門いへかど必亡ほろびむ!」云云しかしかまをす。
丁巳廿四,災近江宮あふみのみや。從大藏省おほくらのつかさ第三倉出。
壬戌廿九,五臣いつたりのまへつきみ奉大友皇子,盟天皇前。
是日,賜新羅王絹五十匹、絁あしきぬ五十匹、綿一千斤、韋一百枚ひら。
十二月癸亥朔乙丑三,天皇崩于近江宮。
癸酉十一,殯于新宮にひみや。于時童謠曰:
御吉野みえしのの 吉野鮎えしののあゆ 鮎あゆこそは 島傍しまへも良えき
え苦くるしゑ 水蔥下なぎのもと 芹下せりのもと 吾あれは苦くるしゑ 【其一。】
臣子おみのこの 八重紐解やへのひもとく 一重ひとへだに 未いまだ解とかねば 御子みこの紐解ひもとく 【其二。】
赤駒あかごまの い行ゆき憚はばかる 真葛原まくずはら 何なにの傳言つてこと 直ただにし良えけむ 【其三。】
己卯十七,新羅進調使みつきたてまつるつかひ沙飡金萬物等罷歸。
是歲,讚岐國山田郡さぬきのくにやまだのこほり人家,有雞子とりのこ四足者。
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