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九月甲辰朔丙午三,詔櫻井田部連さくらゐのたべのむらじ、縣犬養連あがたのいぬかひのむらじ、難波吉士なにはのきし等,主掌屯倉之稅たちから。
丙辰十三,別敕大連云:「宜放牛於難波大隅嶋おほすみのしま與媛嶋松原ひめしまのまつばら。冀垂名於後。」
冬十二月癸酉朔己丑十七,天皇崩于勾金橋宮まがりのかなはしのみや,時年七十。
是月,葬天皇于河內舊市高屋丘陵ふるいちのたかやのをかのみさざき。以皇后春日山田皇女及天皇妹神前皇女かむさきのひめみこ,合葬于是陵。
武小廣國押盾天皇たけをひろくにおしたてのすめらみこと 宣化天皇せんくわてんわう
一、宣化帝即位立后
武小廣國押盾天皇たけをひろくにおしたてのすめらみこと,男大迹繼體天皇第二子也。勾大兄廣國押武金日安閑天皇之同母弟いろど也。
二年,十二月,勾大兄廣國押武金日安閑天皇崩,無嗣。
群臣まへつきみたち奏上劍みはかし、鏡みかがみ於武小廣國押盾尊宣化,使即天皇之位焉。
是天皇為人,器宇清通うつはものきよくとほり,神襟朗邁みこころあきらかにすぎたまへり。不以才地みつとかど,矜ほこり人為王おほきみおもへりす。君子うまひとのこ所服。
元年,春正月,遷都于檜隈廬入野ひのくまのいほりの,因為宮號也。
二月壬申朔一,以大伴金村大連為大連,物部麤鹿火大連為大連,並如故もとのごとし。又以蘇我稻目宿禰そがのいなめのすくね為大臣。阿倍大麻呂臣あへのおほまろのおみ為大夫まへつきみ。
三月壬寅朔一,有司請立皇后。
己酉八,詔曰:「立前正妃さきのむかひめ億計仁賢天皇女橘仲皇女たちばなのなかつひめみこ為皇后。」是生一男三女。
長曰,石姬皇女いしひめのひめみこ。
次曰,小石姬皇女をいしひめのひめみこ。
次曰,倉稚綾姬皇女くらのわかやひめのひめみこ。
次曰,上殖葉皇子かみゑはのみこ。亦名椀子まろこ。是丹比公たぢひのきみ、偉那公ゐなのきみ,凡二姓之先也。
前庶妃大河內稚子媛おほしかふちのわくごひめ,生一男。
是曰,火焰皇子ほのほのみこ。是椎田君しひたのきみ之先おや也。
福井縣越前市粟田部町
岡太神社 奧院
傳安閑、宣化二帝降誕之地。
奈良縣高市郡明日香村檜前 於美阿志神社
宣化天皇檜隈廬入野宮跡
佐賀縣唐津市
濱玉町 鏡山
傳狹手彥往鎮任那之途,曾滯松浦里,與佐用姬相戀。佐用姬偲夫,躬登鏡山,恒望船影,終化為石。肥前風土記逸文:「昔宣化天皇世,遣大伴狹手彥鎮任那、救百濟。過此村,娉篠原邑第四姬乙等比賣,有國色。臨別與鏡,婦哀別,渡栗川,遂云鏡渡。狹手彥船出之際,登此峰而望,舉褶帔招之,故名袖振峰云云。」
奈良縣橿原市鳥屋町 鳥屋ミサンザイ古墳
宣化天皇 身狹桃花鳥坂上陵
夏五月辛丑朔一,詔曰:「食くひもの者,天下之本也。黃金萬貫こがねよろづはかり,不可療飢いひうゑ。白玉千箱しらたまちはこ,何能救冷こい。夫筑紫國者,遐邇とほくちかく之所朝屆まゐでいたる,去來ゆきき之所關門せきと。是以海表わたのほか之國,侯海水しほ以來賓,望天雲あまくも而奉貢。自胎中之帝應神,洎いたる于朕身,收藏穀稼もみいね,蓄積儲糧まいけのかて。遙設凶年いひうゑのとし,厚饗良客たかきまらうと。安國之方,更無過此。故朕遺阿蘇仍君あそのきみ,【未詳也。】加運河內國茨田郡かふちのくにのまむたのこほり屯倉之穀。蘇我大臣稻目宿禰,宜遣尾張連をほりもむらじ,運尾張國屯倉之穀。物部大連麤鹿火,宜遣新家連にひのみのむらじ,運新家屯倉にひのみのみやけ之穀。阿倍臣あへのおみ,宜遣伊賀臣いがのおみ,運伊賀國屯倉いがのくにのみやけ之穀。修造官家みやけ那津之口。又其筑紫、肥ひ、豐,三國屯倉,散在懸隔とほきところ,運輸遙阻はこびいたさむことはるかにへだたれり。儻如もし須要,難以備率にはかに。亦宜課諸郡分移,聚建那津之口なのつのほとり,以備非常おもひのほか,永為民命たみのいのち。早下郡縣こほりあがた,令知朕心。」
秋七月,物部麤鹿火大連,薨みうせぬ。是年也,太歲丙辰。
二年,冬十月壬辰朔一,天皇以新羅しらき寇於任那みまな,詔大伴金村大連,遣其子磐いは與狹手彥さでひこ,以助任那。是時,磐留筑紫,執其國政くにのまつりごと,以備三韓みつのからくに。狹手彥往鎮任那,加救百濟。
四年,春二月乙酉朔甲午十,天皇崩于檜隈廬入野宮ひのくまのいほりののみや。時年七十三。
冬十一月庚戌朔丙寅十七,葬天皇于大倭國身狹桃花鳥坂上陵むさのつきさかのへのみさざき。以皇后橘皇女たちばなのひめみこ及其孺子わくご,合葬あはせはぶり于是陵。【皇后崩かむあがり年,傳記つたへふみ無載。孺子者,蓋未成人ひととならず而薨歟。】
日本書紀卷十八 終
【久遠の絆】【卷十七】【卷十九】【再臨詔】
日本書紀 卷十九 欽明紀
天國排開廣庭天皇あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと 欽明天皇きんめいてんわう
京都府伏見區稻荷町深草
伏見稻荷大社
山背國紀伊郡深草里者,在伏見一帶。另,右京區木島坐天照御魂神社【蠶之社】,係秦氏宗廟,以三柱鳥居獨樹一幟聞名。
天國排開廣庭天皇あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと,男大迹をほど天皇嫡子むかひはらのみこ也。母曰手白香皇后たしらかのきさき。天皇愛之,常置左右みもと。
天皇幼時わかくましまししとき夢,有人云:「天皇寵愛秦大津父はだのおほつち者,及壯大をとこざかり,必有天下あめのした。」寐驚みゆめさむ,遣使普求あまねくもとめしめ,得自山背國紀伊郡深草里やましろのくにのきのこほりのふかくさのさと。姓字うぢな果如所夢みいめ。於是所喜遍身,歎未曾夢めづらしきいめ。乃告之曰:「汝有何事?」答云:「無也。但臣向伊勢いせ商價來還まゐける,山逢二狼相鬪くひあひ污血。乃下馬洗漱あらひすすき口手,祈請のみ曰:『汝是貴神かしこきかみ,而樂麤行あらきわざ。儻もし逢獵士かりひと,見禽尤速。』乃抑止おしとどめ相鬪,拭洗血毛ちぬれたるけ,遂遣放之俱令全命。」天皇曰:「必此報也。」乃令近侍ちかくつかへ,優寵日新,大致饒富にぎはひ。及至踐祚あまつひつぎしろしめす,拜大藏省おほくらのつかさ。
四年,冬十月,武小廣國押盾たけをひろくにおしたて天皇崩。皇子天國排開廣庭欽明天皇令群臣曰:「余幼年淺識さとりすくなき,未閑政事まつりごと。山田やまだ皇后明閑百揆もものまつりごと,請就而決。」山田皇后怖謝かしこまり曰:「妾蒙恩寵みめぐみ,山海詎いかでか同。萬機よろづのまつりごと之難,婦女めのこ安預?今皇子者,敬うやまひ老慈うつくしび少,禮下ゐやまひ賢者。日中不食ものもまゐのぼらず以待士ひと。加以幼而穎脫すぐれ,早擅嘉聲よきな,性ひととなり是寬和やはらか,務存矜宥かなしびただめ。請諸臣まへつきみたち等,早令臨登のぼり位光臨てりいまし天下。」
二、天皇即位立后與遷都
冬十二月庚辰朔甲申五,天國排開廣庭皇子,即天皇位。時年若干そこばく。尊皇后曰皇太后おほきさき。大伴金村おほとものかなむら大連、物部尾輿もののべのをこし大連為大連おほむらじ,及蘇我稻目宿禰そがのいなめのすくね大臣為大臣おほおみ,並如故もとのごとし。
元年,春正月庚戌朔甲子十五,有司つかさ請立皇后。
詔曰:「立正妃むかひめ,武小廣國押盾宣化天皇女石姬いしひめ為皇后。」是生二男一女。
長曰,箭田珠勝大兄皇子やたのたまかつのおほえのみこ。
仲曰,譯語田渟中倉太珠敷尊をさたのぬなくらのふとたましきのみこと。
少曰,笠縫皇女かさぬひのひめみこ。【更名,狹田毛皇女さたけのひめみこ。】
二月,百濟くだら人己知部こちふ投化。置倭國添上郡山村やまとのくにのそふのかみのこほりのやまむら。今山村己知部やまむらのこらふ之先也。
三月,蝦夷えみし、隼人はやひと,並率眾歸附まゐきしたがふ。
秋七月丙子朔己丑十四,遷都倭國磯城郡磯城嶋しきのこほりのしきしま。仍號為磯城嶋金刺宮しきしまのかなさしのみや。
八月,高麗こま、百濟、新羅しらき、任那みまな,並遣使獻,並脩貢職みつき。召集秦人はだひと、漢人あやひと等,諸蕃投化者くにぐにのおのづからまゐけるひと,安置國郡くにこほり,編貫戶籍へのふみた。秦人戶數へのかず總七千五十三戶,以大藏掾おほくらのまつりごとひと為秦伴造はだのとものみやつこ。
奈良縣櫻井市慈恩寺 磯城嶋公園
欽明天皇磯城島金刺宮址
欽明帝元年,遷都倭國磯城郡磯城嶋,是為金刺宮。磯城島,『大和志』云:「在金屋村西南初瀨川南。」金刺者,金物工藝也。金屋,鍛冶師、鑄物師之工房也。
奈良縣北葛城郡新庄町大屋
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