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於是,阿利斯等知其細碎くはしくくだくだしきこと為事,不務所期ちぎれる,頻勸歸朝,尚不聽還。由是悉知行迹あるかたち,心生飜背そむくこと。乃遣久禮斯己母くれしこも,使于新羅請兵,奴須久利ぬすくり使于百濟請兵。
毛野臣聞百濟兵來,迎討背評へこほり,【背評,地名。亦名,熊備己富里こびこほり。】傷死者半。百濟則捉奴須久利,杻てかし、械あしかし、枷くびかし、鏁かなつがり,而共新羅圍城,責罵せめのり阿利斯等曰:「可出毛野臣!」毛野臣嬰より城自固,勢いきほひ不可擒。於是,二國圖度はかり便地,淹留弦晦ひとつき。築城而還,號曰久禮牟羅城くれむらのさし。還時觸路みちすがら,拔騰利枳牟羅とりきむら、布那牟羅ふなむら、牟雌枳牟羅むしきむら、阿夫羅あぶら、久知波多枳くちはたき,五城。
冬十月,調吉士至自任那,奏言:「毛野臣為人傲佷もとりいすかし,不閑治體まつりごと。竟無和解,擾亂さわかす加羅,又倜儻任意たかほにこころのまま,而思不防患うれへ。」故遣目頰子めづらこ,徵召めす。【目頰子,未詳也。】
是歲,毛野臣被召到于對馬つしま,逢疾而死。送葬,尋河かはのまにまに而入近江。其妻歌曰:
枚方ひらかたゆ 笛吹上ふえふきのぼる 近江あふみのや 毛野若子けなのわくごい 笛吹上ふえふきのぼる
目頰子初到任那時,在彼鄉家等いへひとら贈歌曰:
韓國からくにを 如何いかに言事ふことそ 目頰子來めづらこきたる 向離來むかさくる 壹岐濟いきのわたりを 目頰子來めづらこきたる
七、繼體天皇崩御
二十五年,春二月,天皇病甚おほみやまひおもし。
丁未七,天皇崩于磐余玉穗宮いはれのたまほのみや。時年八十二。
冬十二月丙申朔庚子五,葬于藍野陵あゐののみさざき。
或本あるふみ云:「天皇二十八年,歲次甲寅,崩かむあがり。」而此云:「二十五年歲次辛亥崩。」者,取『百濟本記』為つくれる文。
其文云:「太歲辛亥三月,師進至于安羅,營乞乇城こつとくのさし。是月,高麗弒其王安あん。又聞,日本天皇及太子ひつぎのみこ、皇子,俱崩薨かむあがり。」由此而言,辛亥之歲當 二十五年矣。後勘校かむがへむ者,知之也。
日本書紀卷十七 終
大阪府茨木市太田
繼體天皇 三島藍野陵
繼體帝崩磐余玉穗宮,葬藍野陵
【久遠の絆】【卷十六】【卷十八】【再臨詔】
日本書紀 卷十八 安閑紀/宣化紀
【安閑天皇】 【宣化天皇】
廣國押武金日天皇ひろくにおしたけかなひのすめらみこと 安閑天皇あんかんてんわう
一、安閑帝即位立后
勾大兄廣國押武金日天皇まがりのおほえのひろくにおしたけかなひのすめらみこと,男大迹をほど天皇長子えみこ也。母曰目子媛めのこひめ。
是天皇為人ひととなり,墻宇うつは凝峻,不可得窺。桓桓寬大たけくゆたかにおほき,有人君すめらみこと之量はかりこと。
廿五年,春二月辛丑朔丁未七,男大迹繼體天皇立大兄為天皇。
即日,男大迹繼體天皇崩。
是月,以大伴おほとも大連、物部麤鹿火もののべのあらかひ大連為大連おほむらじ,並如故もと。
元年,春正月,遷都于大倭國勾金橋やまとのくにまがりのかなはし,因為宮號みやのな。
三月癸未朔戊子六,有司つかさ為天皇納采億計おけ天皇女春日山田皇女かすがのやまだのひめみこ為皇后きさき。【更名,山田赤見皇女やまだのあかみのひめみこ。】
別立三妃。立許勢男人大臣こせのをひとのおほきみ女紗手媛さてひめ、紗手媛弟香香有媛かかりひめ、物部木蓮子もののべいたび大連女宅媛やかひめ。【木蓮子,此云いたび伊施寐。】
奈良縣橿原市曲川町
安閑天皇勾金橋宮址 金橋神社
安閑皇后 春日山田皇女 古市高屋陵※大阪府羽曳野市古市 高屋八幡山古墳
春日山田皇后 古市高屋陵
各后妃及所賜屯倉
夏四月癸丑朔一,內膳卿膳臣大麻呂かしはでのつかさのきみかしはでのおみおほまろ奉敕,遣使求珠伊甚いじみ。
伊甚國造いじみのくにのみやつこ等,詣京遲晚おそく,踰時不進。膳巨大麻呂大怒,收縛とりしばり國造等,推問所由ことのよし。國造稚子直わくごのあたひ等恐懼かしこまり,逃匿後宮內寢きさきのみやのおほとの。春日皇后かずがのきさき不知直入,驚駭おどろき而顛たふれる,慚愧無已。稚子直等兼坐闌入罪みだれがはしくまゐれるつみ,當科重。謹專為皇后,獻伊甚屯倉いじみのみやけ,請贖あかはむ闌入之罪。因定伊甚屯倉。今分為郡こほり,屬上總國かみつふさのくに。
五月,百濟くだら遣下部脩德嫡德孫かほうしうとくちゃくとくそん、上部都德己州己婁しやうほうととくこつこる等,來貢常調みつき,別上表ふみ。
秋七月辛巳朔一,詔曰:「皇后雖體同天子みかど,而內外うちと之名殊隔ことにへなれり。亦可以充屯倉之地,式樹椒庭うちつみや,後代のちのよ遺迹。」迺差敕使みかどのつかひ,簡擇えらぶ良田。敕使奉敕,宣於大河內直味張おほしかふちのあたひあぢはり,【更名黑梭くろひ。】曰:「今汝宜奉進膏腴こえたる雌雉田きぎした。」味張忽然恡惜をしみ,欺誑あざむき敕使曰:「此田者,天旱ひでり難溉みづまかせ,水潦いさらみづす易浸こみ。費功いたはり極多,收穫とりうる甚少。」敕使依言服命かへりことまをす,無隱。
冬十月庚戌朔甲子十五,天皇敕大伴大連金村おほとものおほむらじかなむら日:「朕納めしいれ四妻,至今無嗣みつぎ。萬歲よろづとせ之後,朕名絕矣。大伴伯父をぢ,今作何計?每念於茲,憂慮うれへおもひはかる何已。」大伴大連金村奏曰:「亦臣所憂也。夫我國家みかど之王天下あめのした者,不論有嗣無嗣,要須かならず因物為名。請為皇后、次妃,建立屯倉之地,使留後代,令顯前迹さきのあと。」詔曰:「可矣。宜早安置おく。」
大伴大連金村奏稱:「宜以小墾田屯倉をはりだのみやけ與每國田部たべ,給貺たまひ紗手媛。以櫻井屯倉さくらゐのみやけ與每國田部,【一本云,加貺茅渟山屯倉ちぬやまのみやけ也。】給賜香香有媛。以難波屯倉なにはのみやけ與每郡钁丁くはよほろ,給貺宅媛。以示於後,式もち觀乎昔。」詔曰:「依奏施行ほどこしおこなへ。」
三、大河內味張贖罪
閏十二月己卯朔壬午四,行幸いでます於三嶋みしま。大伴大連金村從焉。天皇使大伴大連,問良田よきた於縣主飯粒あがたぬしいひぼ。縣主飯粒,慶悅無限。謹敬盡誠,仍奉獻上御野かみのみの、下御野しものみの,上桑原かみのくははら、下桑原しものくははら,并竹村たかふ之地,凡合肆拾町。
大伴大連,奉敕宣曰:「率土之下あめのした,莫匪王封きみのところ。普天之上くにのうち,莫匪王域。故先天皇さきのすめらみこと,建顯號いちしろきみな,垂鴻名ひろきみな,廣大ひろくおほきなること配乎乾坤あめつち,光華ひかりうるはしきこと象乎日月ひつき。長駕ゆく遠撫,橫逸こえいでる乎都外,瑩鏡みがきてらす區域,充塞乎無垠かぎりなき。上冠九垓ここのつのみち,旁濟八表やも。制禮のり以告成功,作樂うたまひ以彰治定まつりごとのさだめる。福應允まこと致,祥慶よきよろこび符合於往歲むかしのとし矣。今汝味張,率土幽微百姓くにのうちのかすかないやしなるおほみたから。忽爾たちまち奉惜王地きみのところ,輕背使乎宣旨。味張,自今以後のち,勿預郡司こほりのつかさ。」於是,縣主飯粒,喜懼交懷こころにみてり。迺以其子鳥樹とりき獻大連,為僮豎しとびわらは焉。
於是,大河內直味張,恐畏求悔,伏地汗流あつかふ。啟大連曰:「愚蒙おろかにくらき百姓,罪當萬死。伏願,每郡以钁丁,春時はる五百丁,秋時あき五百丁,奉獻天皇,子孫いやつづき不絕。籍此祈生,永為鑑戒いましめ。」別以狹井田さゐのた六町,賂まひなふ大伴大連。蓋三嶋竹村屯倉みしまのたかふのみやけ者,以河內縣部曲かふちのあがたのかきべ為田部たべ之元,於是乎起。
是月,廬城部連枳莒喻いほきべのむらじきこゆ女幡媛はたひめ,偷取ぬすみとり物部大連尾輿瓔珞くびたま,獻春日皇后。事至發覺,枳莒喻以女幡媛獻采女丁うねめのよほろ,【是春日部采女かすがべのうねめ也。】并獻安藝國過戶廬城部屯倉あぎのくにのあまるべのいほきべのみやけ,以贖女罪。物部大連尾輿もののべのおほむらじをこし,恐事由己,不得自安。乃獻十市部とをちべ,伊勢國いせのくに來狹狹、登伊贄土師部にへのはじべ,【來狹狹くささ、登伊とい,二邑さと名也。】筑紫國膽狹山部つくしのくにのいさやまべ也。
有金村神社祭之。延喜式神名帳云:「大和國葛下郡鎮座。」今奈良縣葛城市新庄町大屋※菊池容齋『前賢故實』大伴金村
前賢故實 大伴金村
島根縣大田市川合町川合
石見國一宮 物部神社
武藏國郡部圖
笠原使主、小杵,相爭武藏國造
大阪府羽曳野市古市 高屋築山古墳
安閑天皇 舊市高屋丘陵
武藏國造笠原直使主むざしのくにのみやつこかさはらのあたひおみ與同族おなじうがら小杵,相爭國造,【使主、小杵をき,皆名也。】經年難決也。
小杵性ひととなり阻有逆,心高無順。密就求援於上毛野君小熊かみつけののきみをくま,而謀殺使主。使主覺さとり之走出にげいで,詣京言狀あるかたち。朝廷みかど臨斷,以使主為國造,而誅小杵。國造使主,悚憙かしこまりよろこび交懷,不能默已。謹為國家,奉置橫渟よこぬ、橘花たちばな、多冰おほひ、倉樔くらす,四處屯倉。是年也,太歲甲寅。
二年,春正月戊申朔壬子五,詔曰:「間者このころ連年登穀たなつものとしえる,接境無虞。元元蒼生おほみたから,樂於稼穡なりはひ。業業黔首おほみたから,免於飢謹。仁風めぐみののり鬯乎宇宙くにのうち,美聲よきな塞乎乾巛あめつち。內外清通,國家殷富ひぎはひとむ。朕甚欣焉。可大酺さけのみす五日,為天下之歡よろこび。」
夏四月丁丑朔一,置勾舍人部まがりのとねりべ、勾靫部まがりのゆきべ。
五月丙午朔甲寅九,置筑紫穗波ほなみ屯倉、鎌かま屯倉,豐國腠碕屯倉とよのくにのみさきのみやけ、桑原くははら屯倉、肝等屯倉かとのみやけ、【取音讀。】大拔おほぬく屯倉、我鹿あか屯倉,【我鹿,此云あか阿柯。】火國春日部屯倉ひのくにのかすがべのみやけ,播磨國越部屯倉はりまのくにのこしべのみやけ、牛鹿うしか屯倉,備後國後城屯倉きびのみちのしりのくにのしつきのみやけ,多禰たね屯倉、來履くくつ屯倉、葉稚はわか屯倉、河音かはと屯倉,婀娜國膽殖屯倉あなのくにのいにゑのみやけ、膽年部いとしべ屯倉,阿波國あはのくに春日部屯倉,紀國きのくに經湍屯倉ふせのみやけ、【經湍,此云ふせ俯世。】河邊かはへ屯倉,丹波國蘇斯岐屯倉たにはのくにのそしきのみやけ,【皆取音。】近江國葦浦屯倉あふみのくにのあしうらのみやけ,尾張國間敷屯倉をはりのくにのましきのみやけ、入鹿いるか屯倉,上毛野國綠野屯倉かみつけのくにのみどののみやけ,駿河國稚贄屯倉するがのくにのわかにへのみやけ。
秋八月乙亥朔一,詔置國國犬養部いぬかひべ。
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