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| 鲁虺日本人文搜索 / 辛巳十九,詔東國朝集使まゐでうごなはるつかひ等曰:「集侍群臣大夫まへつきみたち及國造、伴造并諸百姓等,咸可聽之みなうけたまはるべし。以去年こぞ八月はつき,朕親誨をしへ曰:『莫因官勢つかさのいきほひ,取公私おほやけわたくし物。可喫くらふ部內之食いひ,可騎部內之馬。若違所誨,次官以上降其爵位,主典以下決其笞ふときすはえ、杖ほそきすはえ。入己物者,倍而徵之。』詔既若斯。今問朝集使及諸國造等:『國司至任,奉所誨不?』於是朝集使等具陳其狀かたち:『穗積臣咋ほづみのおみくひ所犯をかせる者,於百姓中每戶求索もとめこひ,仍悔還物,而不盡與。其介富制臣ふせのおみ、【闕名。】巨勢臣紫檀こせのおみしたの二人之過者,不正たださず其上,云云。凡以下官人,咸有過とが也。其巨勢德禰臣こせのとこねのおみ所犯者,於百姓中每戶求索,仍悔還物,而不盡與,復取田部たべ之馬。其介朴井連えのゐのむらじ、押坂連おしさかのむらじ【闕名。】二人者,不正其上所失あやまてる,而翻かへり共求己利,復取國造之馬。臺直うてなのあたひ須彌すみ,初雖諫上,而遂俱濁けがる。凡以下しもつかた官人,咸有過也。其紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ所犯者,使人於朝倉君あさくらのきみ、井上君ゐのうへのきみ,二人之所,而為牽來ひききしめ其馬視之。復使朝倉君作刀,復得朝倉君之弓、布。復以國造所送たてまつる兵代之物つはものしろのもの,不明還主,妄傳國造。復於所任之國被他偷刀,復於倭國やまとのくに被他偷刀。是其紀臣きのおみ、其介三輪君大口みわのきみおほくち、河邊臣百依かはへのおみももより等過也。其以下官人,河邊臣磯泊かはへのおみしはつ、丹比深目たぢひのふかめ、百舌鳥長兄もずのながえ、葛城かづらきの福草さきくさ、難波癬龜なにはのくひかめ、【癬龜,此云くひかめ俱毘柯梅。】犬養五十君いぬかひのいきみ、伊岐史麻呂いきのふびとまろ、丹比大眼たぢひのおほめ,凡是八人等,咸有過也。其阿曇連あづみのむらじ【闕名。】所犯者,和德史わとこのふびと有所患うれへ時,言於國造,使送官物つかさのもの。復取湯部ゆべ之馬。其介膳部臣百依かしはでのおみももより所犯者,草代之物くさしろのもの收置於家,復取國造之馬,而換他馬ひとのうま來。河邊臣磐管かはへのおみいはつつ、湯麻呂ゆまろ兄弟二人亦有過也。大市連おほいちのむらじ【闕名。】所犯者,違於前詔。前詔曰:「國司等,莫於任所まけどころ自斷民之所訴。」輙違斯詔,自判菟礪人うとのひと之所訴うたへ及中臣德なかとみのとこ之奴事。中臣德亦是同罪おなじつみ。涯田臣きしたのおみ【闕名。】之過者,在於倭國被偷官刀つかさのたち,是不謹也。小綠臣をみどりのおみ、丹波臣たにはのおみ【並闕名。】是拙つたなき而無犯。忌部木菓いみべのこのみ、中臣連正月なかとみのむらじむつき二人,亦有過也。羽田臣はたのおみ、田口臣たぐちのおみ【並闕名。】二人並無過也。平群臣へぐりのおみ【闕名。】所犯者,三國にくに人所訴有而未問。』以此觀之,紀麻利耆拖臣、巨勢德彌臣、穗積咋臣,汝等三人所怠拙おこたりつたなき也。念おもふに斯違詔,豈不勞いたはし情。夫為君臣以牧やしなふ民者,自率而正,孰敢不直。若君或臣,不正心者,當受其罪。追悔何及なにぞしかむ。是以凡諸國司,隨過輕重かろさおもさ,考而罰之かむがへてつみせむ。又諸國造違詔送財於己國司,遂俱求利,恒懷穢惡けがらはしきこと。不可不治。念雖若是,始處新宮にひしきみや將幣諸神,屬乎今歲ことし。又於農月なりはひのつき,不合使つかふべからず民,緣より造新宮,固まこと不獲己。深感二途ふたつのみち,大赦おほきにつみゆるす天下。自今以後,國司、郡司勉之勗之つとめつとめよ,勿為放逸あだめきわざする。宜遣使者,諸國流人ながしびと及獄中囚ひとやのうちのとらへびと,一皆放捨ゆるせ。別鹽屋鯯魚しほやのこのしろ、【鯯魚,此云このしろ舉能之慮。】神社福草かむこそのさきくさ、朝倉君、椀子連まりこのむらじ、三河大伴直みかはのおほとものあたひ、蘆尾直すすきをのあたひ,【四人並闕名。】此六人奉順したがひ天皇。朕深讚美厥心そのこころ,宜罷官司つかさ處處屯田みた及吉備嶋皇祖母きびのしますめみおや處處貸稻いらしのいね,以其屯田班賜あかちたまはむ群臣及伴造等。又於脫籍寺ふみたにもりたるてら,入田與山やま。」 | 上一个 查看全部 下一个 |
辛巳十九,詔東國朝集使まゐでうごなはるつかひ等曰:「集侍群臣大夫まへつきみたち及國造、伴造并諸百姓等,咸可聽之みなうけたまはるべし。以去年こぞ八月はつき,朕親誨をしへ曰:『莫因官勢つかさのいきほひ,取公私おほやけわたくし物。可喫くらふ部內之食いひ,可騎部內之馬。若違所誨,次官以上降其爵位,主典以下決其笞ふときすはえ、杖ほそきすはえ。入己物者,倍而徵之。』詔既若斯。今問朝集使及諸國造等:『國司至任,奉所誨不?』於是朝集使等具陳其狀かたち:『穗積臣咋ほづみのおみくひ所犯をかせる者,於百姓中每戶求索もとめこひ,仍悔還物,而不盡與。其介富制臣ふせのおみ、【闕名。】巨勢臣紫檀こせのおみしたの二人之過者,不正たださず其上,云云。凡以下官人,咸有過とが也。其巨勢德禰臣こせのとこねのおみ所犯者,於百姓中每戶求索,仍悔還物,而不盡與,復取田部たべ之馬。其介朴井連えのゐのむらじ、押坂連おしさかのむらじ【闕名。】二人者,不正其上所失あやまてる,而翻かへり共求己利,復取國造之馬。臺直うてなのあたひ須彌すみ,初雖諫上,而遂俱濁けがる。凡以下しもつかた官人,咸有過也。其紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ所犯者,使人於朝倉君あさくらのきみ、井上君ゐのうへのきみ,二人之所,而為牽來ひききしめ其馬視之。復使朝倉君作刀,復得朝倉君之弓、布。復以國造所送たてまつる兵代之物つはものしろのもの,不明還主,妄傳國造。復於所任之國被他偷刀,復於倭國やまとのくに被他偷刀。是其紀臣きのおみ、其介三輪君大口みわのきみおほくち、河邊臣百依かはへのおみももより等過也。其以下官人,河邊臣磯泊かはへのおみしはつ、丹比深目たぢひのふかめ、百舌鳥長兄もずのながえ、葛城かづらきの福草さきくさ、難波癬龜なにはのくひかめ、【癬龜,此云くひかめ俱毘柯梅。】犬養五十君いぬかひのいきみ、伊岐史麻呂いきのふびとまろ、丹比大眼たぢひのおほめ,凡是八人等,咸有過也。其阿曇連あづみのむらじ【闕名。】所犯者,和德史わとこのふびと有所患うれへ時,言於國造,使送官物つかさのもの。復取湯部ゆべ之馬。其介膳部臣百依かしはでのおみももより所犯者,草代之物くさしろのもの收置於家,復取國造之馬,而換他馬ひとのうま來。河邊臣磐管かはへのおみいはつつ、湯麻呂ゆまろ兄弟二人亦有過也。大市連おほいちのむらじ【闕名。】所犯者,違於前詔。前詔曰:「國司等,莫於任所まけどころ自斷民之所訴。」輙違斯詔,自判菟礪人うとのひと之所訴うたへ及中臣德なかとみのとこ之奴事。中臣德亦是同罪おなじつみ。涯田臣きしたのおみ【闕名。】之過者,在於倭國被偷官刀つかさのたち,是不謹也。小綠臣をみどりのおみ、丹波臣たにはのおみ【並闕名。】是拙つたなき而無犯。忌部木菓いみべのこのみ、中臣連正月なかとみのむらじむつき二人,亦有過也。羽田臣はたのおみ、田口臣たぐちのおみ【並闕名。】二人並無過也。平群臣へぐりのおみ【闕名。】所犯者,三國にくに人所訴有而未問。』以此觀之,紀麻利耆拖臣、巨勢德彌臣、穗積咋臣,汝等三人所怠拙おこたりつたなき也。念おもふに斯違詔,豈不勞いたはし情。夫為君臣以牧やしなふ民者,自率而正,孰敢不直。若君或臣,不正心者,當受其罪。追悔何及なにぞしかむ。是以凡諸國司,隨過輕重かろさおもさ,考而罰之かむがへてつみせむ。又諸國造違詔送財於己國司,遂俱求利,恒懷穢惡けがらはしきこと。不可不治。念雖若是,始處新宮にひしきみや將幣諸神,屬乎今歲ことし。又於農月なりはひのつき,不合使つかふべからず民,緣より造新宮,固まこと不獲己。深感二途ふたつのみち,大赦おほきにつみゆるす天下。自今以後,國司、郡司勉之勗之つとめつとめよ,勿為放逸あだめきわざする。宜遣使者,諸國流人ながしびと及獄中囚ひとやのうちのとらへびと,一皆放捨ゆるせ。別鹽屋鯯魚しほやのこのしろ、【鯯魚,此云このしろ舉能之慮。】神社福草かむこそのさきくさ、朝倉君、椀子連まりこのむらじ、三河大伴直みかはのおほとものあたひ、蘆尾直すすきをのあたひ,【四人並闕名。】此六人奉順したがひ天皇。朕深讚美厥心そのこころ,宜罷官司つかさ處處屯田みた及吉備嶋皇祖母きびのしますめみおや處處貸稻いらしのいね,以其屯田班賜あかちたまはむ群臣及伴造等。又於脫籍寺ふみたにもりたるてら,入田與山やま。」 | |